2007-06-14 第166回国会 参議院 文教科学委員会 第19号
その意味で、高校教育は完成教育、普通教育を完成させる場であるというふうに規定しているのですが、今回の改正案を拝見いたしますと、小学校と中学校を義務教育としての普通教育、高等学校を高等な普通教育として分離する形になっております。これは、学校教育法改正案の二十一条と五十条です。
その意味で、高校教育は完成教育、普通教育を完成させる場であるというふうに規定しているのですが、今回の改正案を拝見いたしますと、小学校と中学校を義務教育としての普通教育、高等学校を高等な普通教育として分離する形になっております。これは、学校教育法改正案の二十一条と五十条です。
ちなみに、この高等専門学校というのは、五年一貫の完成教育、要するに三年間と二年間で一応完成するということが目的ですけれども、最近、この高専を卒業した人がさらに進学しているんじゃないかと思うんです。工藤局長、もしも今資料を持っておられたら、その進学率についてどうでしょうか。
本来、学部教育は完成教育であり、その年限は四年間と定められております。この四年間は、学力はもとより、学士としての豊かな人間性を養うためにも必要な期間として定められているものと存じます。
従来、学部教育の内容につきましては、専門の完成教育であるというとらえ方がされてまいりました。しかし、専門分野の教育内容が非常に高度化し、またその内容が増大する、そういった現象が急速に進んでおることなどを考えますというと、今後学部教育は、専門基礎を中心としたむしろリベラルアーツとして位置づける方向を考えていくことが重要ではないかという考え方をとっておるわけでございます。
従前は初任者研修というのはございませんでしたものですから、卒業して就職をいたしますともう完全に一人前でなければならないということがございましたので、教育実習というのは一番最後に、いわば教職教育の最終段階として完成教育というふうな意味で教育実習を置いているというふうなことが多かったのでございますけれども、前回の免許法の改正によりまして初任者研修が置かれるようになりました。
ですから、そこで完成教育になっていないわけでございますね。ほとんど通過コースになっちゃっている、こういう実態がございます。 そしてまた、医療の現場でございましても、看護婦と准看護婦というレベルがあるわけですが、准看護婦のレベルではやっぱり医療の場ではもう問に合わなくなっているというふうな意識が高くなりまして、現実問題として採用がもう今してもらえにくくなっちゃっている。
産業界の要請によりまして完成教育機関としてこれが設置をされたという経緯があるわけです。 ですから、そうしたことを考えますと、複線型であれば袋小路になることは当然でありますから、結果的には私に言わせるならば矛盾が出てきた、こう言わざるを得ないのですね。そうなってきますと、高専をここにまた設けるということになりますと、私は継ぎはぎ的な発想ではないかということを指摘したいと思うのです。
○前畑政府委員 高等専門学校制度が創設されましたときには、これはいわゆる複線型の学校制度として意欲的な試みでございまして、それ自体を完成教育とするということがかなり強く意識をされておったというふうに考えております。そういうことから高等専門学校の中でさらに専攻科という制度を設けるということは、当時としては意識がなかった。
高等学校は完成教育を一方でやります。そこで先ほどの完成という立場から二つの時代的要請にこたえる、こういう問題。それからもう一つは、ある意味で高等学校から大学へといういわゆる通過のための過程の任務を担っておるわけでございます。これが大学教育へのつながりを持っておる。初めの完成教育は中学校の学習との継続関係を持っておる。
古いかもしれないけれども、とにかくこの高等学校の目的なりの中に明らかになっておりますように、高等普通教育、これは特権的な高校を排除するということが一つの大きな目的であったし、あるいは、どこを見ても完成教育を目指すという、調和のとれた人間形成を目指すというのがその中心に据わってきておったわけでありますから、その上で今中心になる勤労青少年のここをこれからどうやっていくかということが物すごく大事になってくるわけです
しかし、その定着の中にも、かつての旧制高校が三年間で一つの完成教育をしたというのは、あの間が非常にフリーで、語学をゆっくりと勉強できて、そして東京帝国大学を除けば必ずどこかの大学に入れたという一つの大きなものがあったわけです。そういうふうな中でゆっくりと、受験勉強は厳しかったけれども、高校三年間はできた。
ただし、そんなことを言っても、高等学校のいわゆる完成教育としての高校、予備校としての高校でない。これが高校の本来の姿だという御主張があるかと思いますが、ここら辺のところは、むしろ湊先生にお伺いするよりも高校長協会の森先生に感触をお伺いした方がいいかもわかりません。どういうふうにお考えでしょうか。
ということは、工業にしても農業にしても、これはその高等学校に入るときは一応完成教育を目指し、職業につくことを目指して入る。カリキュラムもそういうことで組まれておりますね。
最後に、後期中等教育と言わず高等教育と言っていることについての論拠は、私はいま必ずしも明らかにお答えできないと思いますが、ただ、奥野文部大臣の諮問の中に、この高等学校の拡大の中で、高等学校というものが一つの重要な完成教育になってきているということで、その点の検討を要望しておられる部分がありますから、そうした意味において、高等学校というものを非常に重視しているところから高等教育という表現があるのではなかろうかと
そういうもので一つの完成教育だと思います。そして今度できます技術科学大学というものも、これは高専と性格が似ておりますがそこで袋小路にならない。袋小路にならないがどこがいままでの工学部と違うかと言うと、私はこれは工学関係の先生の御意見を承ったのでありますが、現在の工学部よりも実習的研究というものを強化していく、そういう方向であるというふうに理解をいたしております。
そこで、やはり余り狭い分野に限定してしまわない、それからまた、完成教育ということよりはむし将来を考えながら発展していける能力を職業課程などでもつけるような方向、これを、すでに細かいいろいろ要綱が審議会からも出ておりますが、小分野に限定しない、これがやはり非常に必要になってくるんではないかと思っております。 といいますのは、社会の変化は相当これからも激しいだろうと思います。
これは一年下がっても私はいいのじゃないか、もともと完成教育を受けることを覚悟して入っておるわけですから。
になって御決定になるべきことと思いますが、文部省としてはどういう考えを持っているかといいますと、これは、公立の中等学校で正規の授業を受けた人が高等学校の試験を受ける、そういう場合には、調査書というものを重視する、あるいは四十一年の通達も出ておりますが、中等学校における主要科目をきちんと勉強した人はテストを受けて高等学校に進んで行ける、そして高等学校で予備的に大学入試の勉強をするのではなくて、一つの完成教育
そうなってくると、完成教育という場が、従来の中学から高校へ変わってきております。これについて六・三制を含めてどうするか、それから高校も、もう九六%にもなれば、義務制にすれば、私立高校に対する助成の問題なんかは、当然これ義務制ですから、国が負担しなければならない。
○湯山委員 では、なおいまの法制局との問題では若干確かめたい点がありますけれども、もう少し推移を見てということにいたしまして、いまの最後の問題は、大臣のおっしゃったように、一応中学は完成教育、高校も完成教育ということになっておりますけれども、いまおっしゃったとおりなので、そうなってくると小・中・高一貫したものといえば同じような、もうここまでくれば、義務制ということばがどうかわかりませんけれども、そういった
この場合の「教育」というのは学校教育だけだと思われないんだけれども、この場合の「人格の完成」、「教育は人格の完成をめざすものであり、人格こそ、人間のさまざまな資質・能力を統一する本質的な価値であることは、変わることのない原則である。」と、ここに書いてある。この「人格の完成」という場合の「人格」は何なのか。どういう立場で人格をとらえているのかということをまずお聞きいたしましょうか。
でございますから、午前中にもちょっと御指摘が出ましたが、今日のように大学への進学率が高まり一般化していくということになりますと、その学部段階の教育のあり方を、戦前の大学で考えておりましたような最終完成教育という考え方では必ずしも望めない。